
あれから19年か・・・。。
1998年5月2日、XJAPANのHIDEが亡くなられました。。
死因は自殺などと騒がれましたが・・・。
絶対にそんなことはありえません。
貴志真由子さんとの関係を思い出せば、 HIDEの人柄がわかるはずです。
ファン歴20年の筆者が命日に泣きながら、振り返ります。
HIDEと貴志真由子さんの出会い
HIDEがXJAPANで活躍していた1995年末。
当時、貴志真由子さんは成功率30%以下という危険な手術を目の前にしていたのです。
30%って・・・。。
貴志真由子さんの病気は「 GM1ガングリオシドーシス・タイプ3」と言って、世界で貴志真由子さんを入れて23例しか報告されていない、難病なのです。。
そんな貴志真由子さんを支えていたのが、 X JAPANだったのです。
特にギターのHIDEが大好きで、貴志真由子さんの唯一の楽しみだったと言います。
そんな中、母親の貴志和子さんがメディアウィッシュという団体の存在を知るのです。
この団体は
「難病に苦しむ子供達の夢を叶えた」
という、思いの元に立ち上げられた団体。
母親は
「これだ!」
と思い、さっそく電話したのです。
「私の娘が、HIDEさんの大ファンで、たった一度だけでいいんです。一瞬でいいんです。一目でいいから、死ぬ前に、娘をHIDEさんに会わせてあげる事は出来ないでしょうか?」
と、必死の思いで打診したのです。
しかし・・・
「はぁ〜?病気の娘さんをHIDEに会わせたいって!この忙しい中、無理無理、そんな時間とれませんよ。じゃ、そういう事で、お大事に!!」
と、一方的に切られたといいます。。
これで、真由子さんをHIDEを会わせたいという思いは、途絶えてしまったのです・・・
しかし、たまたま事務所にいたHIDEが、会話の一部を耳にし
「何?病気がどうしたって??」
と、スタッフに聞くと
「えっ!!ああ・・・HIDEさん!なんか・・・世界で23例しかいない難病になった子がいるらしいですよ。その子がHIDEさんの大ファンで会ってくれないかって・・・でも大丈夫っす!ちゃんと断っておきましたから!あんまりしつこいんで、思わず怒鳴っちゃいましたよ。」
と、答えたのです。
その言葉を聞いたHIDEは、スタッフの胸ぐらを掴んだまま
「お前、何様のつもりだよ!母親がどんな気持ちで電話かけてきたと思うんだ!!」
と、激しい怒りに震えたのです。
HIDEは直ぐに、母親に連絡をさせ、会うことを承諾したのであった。
何て心温かい方なのか。。
そして、1995年12月31日、XJAPANの東京ドームでのライブに貴志真由子さんを招待したのです。
真由子さんを打ち上げにも招待し、周りには
「友達だよ」
と、紹介したのです。
このHIDEがとった行動が、それからの貴志真由子さんをどれだけ勇気付けたことだろうか。。
本当に優しい方なのです。
しかし、これでHIDEと貴志真由子さんの関係は終わりでなく、ここからがスタートだったのです。
HIDEが起こした、本当の奇跡
その後もHIDEは、貴志真由子を励ますため、電話や手紙のやり取りを続けたのです。
励まされた貴志真由子さんは、成功率30%の手術を受ける決意をしたのです。
1996年3月28日、骨髄移植手術が行われたのですが・・・
その4日後、拒絶反応のため心臓に水が溜まり、危篤状態に。。
医者からも
「あと、1日、2日が限界です・・・」
と、見放されるほどに。。
母親は、そんな貴志真由子さんを見かねて
「最後にHIDEさんの声を聞かせてあげたい、病室に電話してもらえないですか?」
と、HIDEに連絡を入れたのです。
そんな母親の思いが通じ、全ての予定をキャンセルし、病院へと駆けつけたのです。
HIDEは集中治療室の無菌室から
「どうした、真由子!?病気を治して、またライブに来るんだろ!!」
「がんばれ真由子!これから真由子のために曲をつくるんだぞ!がんばれ!」
と、励まし続けたのです。
・・・
ここで、奇跡が起こるのです。
貴志真由子さんの下り続けていた血圧が、下がらなくなりました。
その後、病状は奇跡的に回復していき、危篤状態を抜け出したのです。
2時間以上、声を掛け続けたHIDEに
「まさか来て頂けるなんて・・・お仕事もあるのに・・・申し訳ございません。あの子の為に、本当にありがとうございました。」
と、母親は号泣されたそうです。。
すると、HIDEは母親に向かって
「大丈夫、仕事なんかよりマブダチの方が、ずっと大事ですから。」
そういうと、左手にはめていた指輪を母親に手渡して
「真由子のお守りにしてください。」
と、言い残して病室を去ったのです。
そんな貴志真由子さんの事を思って作られた曲がこちら↓
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その後のHIDEさんと貴志真由子さん
1998年に5月2日、HIDEの死亡のニュースが流れました。。
そんな中、貴志真由子さんは
「私も死んで、HIDEさんの所へ行くんだ!」
と、言い、何度も死のうと考えたそうです。。
HIDEが生前に残した手紙に
「何があっても負けんなよ。君は強い子だ」
と、書かれていたことを思い出し、HIDEの分まで強く生きようと決意したのです。
・・・
何度も、何度も危機を乗り越え
・・・
hideの死から、11年後の2009年。
貴志真由子さんはXJAPANにHIDEさんの後継者として加入したSUGIZOの活躍を見届けて、安心して天国に旅立っていったのです。。
まとめ
HIDEの死因が自殺ではないことがわかると思います。
こんな優しい方が自殺なんてするわけがないのです。。
きっと、天国でHIDEと貴志真由子さんは笑っていることだと思いますよ。
しかし、 XJAPANが大好きな筆者にとって、この日は辛過ぎます。。
必ず今年もワールドツアーでHIDEに会いに行きます!!
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